PRESIDENT社長ブログ

55年ぶりのワクワク

slide_482318_6608508_compressed.jpg平成最後の師走を目前に、ワクワクする近未来のニュースが飛び込んできました。2025年の万博開催地が、55年ぶり二度目の大阪に決定!

関西空港と大阪ミナミの真ん中あたりに本社があり、海外から多くの人が来訪して街が賑わうことを現在進行形で体感している私たちにとって、7年後のビッグイベントへの期待は膨らむばかりです。

東京オリンピック開催まで2年を切ったものの、関西はなんとなく蚊帳の外のような気がして、イマイチ実感が湧かないのは私だけでしょうか。むしろ業界では建設関係の人手不足がささやかれることが常で、一段落した後の落ち込みを懸念する声のほうが気になったりもしていました。

時はさかのぼって昭和39年。第1回東京オリンピックの年に生まれた私は、第1回万博の昭和45年には幼稚園児でした。2日連続で万博会場に連れて行ってくれた父は、長蛇の列に並んでまでパビリオンに入る趣味はなかったようですが、向こうが見えないほどの動く歩道と、日本語をしゃべるインド人の作ってくれたかき氷、そしてバイキングの炒め物をつまみ食いしようとした私に「だめよ」と言いながら頭をなでてくれた丸い帽子のお姉さんが私の万博メモリーです。私と同年代の人の万博に対するワクワク感は、こんな幼児体験に裏打ちされているのかもしれません。

大阪と競った他の候補地が、イベントの後にはこう生まれ変わるというプレゼンテーションを展開したのに対し、大阪は、「来場がかなわない人たちも含めた世界中のみなさんにすばらしい未来を示す」と訴えたとのこと。未だ実用化されていない技術も織り込んだ未来を描く力とあわせ、そこには私たちが見習うべきお客様目線での発想を感じます。会場となる「夢洲」は、2008年のオリンピック参戦でむなしく惨敗した負の遺産。高速から覗き込んでも、空から見下ろしても、だらりとひろがる空き地が数千億をかけて生まれ変わる。そんな未来から逆算した7年間には、さまざまなチャンスが転がっているはずです。

必死のパッチ.jpg

この7年間。日本は、大阪は、そしてわが社はどのように変わっていくのでしょうか。遠くの成功イメージを描くと、やはりそこにはワクワクするものがあります。そういえば、新しく就任したタイガース矢野新監督のスローガン。「ぶち破れ!オレがヤル」。なんともいえないワクワク感に、人を動かす力を期待しながら、私たちも必死のパッチで師走を駆け抜けて、近未来の万博へと続くうるわしの新年を迎えたいと思います。

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